母の様子を知ったのは、父からの手紙と、台湾人の叔母からの連絡でした。
(電話だったのか、別の手段だったのか、今となっては曖昧ですが…)
「お母さんが、うつ病になった」
当時の私には、その言葉の意味をしっかり理解するだけの知識がありませんでした。
でも、ただ事ではないということだけは分かりました。
想像と不安のはざまで
自分の目で確かめることができない分、想像ばかりが膨らみました。
時には最悪の状況を思い浮かべては落ち込み、
「いや、あれこれ考えても仕方がない」と無理に気持ちを切り替えようとしたり。
どちらにせよ、遠く離れた土地から私にできることは限られていました。
私にできたこと
せめてもの思いで、留学中に訪れた街からポストカードを送りました。
色鮮やかな風景や異国の日常を写した絵葉書に、
「私は元気にやっているよ」という短いメッセージを添えて。
それが母を少しでも安心させられればと願っていました。
自分自身もどん底に
一方で、肝心の中国語はなかなか思うように伸びません。
授業についていけず、寮での生活にも疲れて、
実家の様子も気になる――。
そんな悪循環の中で、私は半ばヤケクソのような気持ちになっていました。
一人旅を決意
ちょうど学校が夏休みに入るタイミングで、私は思い切って決断しました。
「そうだ、中国を一人で旅してみよう。」
不安もあったけれど、
動き出さなければ自分の心も、この閉塞感も変わらない。
そう思って、中国国内をめぐる一人旅の計画を立て始めました。
結び
母の病気という現実に直面し、言葉も勉強も思うように進まず、
心が押しつぶされそうだった中国留学前半戦。
でも、そんなときだからこそ「自分で動く」ことを選んだのかもしれません。
ここから始まる中国国内一人旅は、私の人生をさらに大きく動かす経験となっていきます。
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