語学との出会いが私を救ってくれた
前回は、私が台湾を好きになった原点――台湾人の叔母との出会いについて綴りました。
今回は、その後の私自身の気持ちの変化や、語学との出会いがどんな意味を持っていたのかを書いてみたいと思います。
居場所を見つけられなかった小学生時代
新しい土地に引っ越してから、学校ではなかなか環境になじめず、成績も思うように伸びませんでした。思春期の入り口で、本音と建て前が少しずつ使い分けることが求められているような・・・今も変わらず裏表のない私はそこにすごく違和感を感じていました。なにより、俗にいう『女子同士つるむ』ことにとても反発して一匹狼を演じていたようなところもあった気がします。
自分に自信を持てず、「私には得意なことなんてないのかもしれない」と思っていたのを覚えています。
でもそんな中で、小さな救いになっていたのが、習い始めた英語塾でした。
学校では自信をなくす一方だった私。同時にスタートした算数のレッスンは全くと言っていいほど成績が振るわず・・・でも英語のレッスンでは「できた!」「楽しい!」と感じられる瞬間、新しいことを身につくたびに自己効力感が上がる感覚があったのです。
言葉の力と、憧れの存在
日本語を全く話せない叔母とどうにかしてコミュニケーションを取りたい――その思いも、英語を続ける原動力になりました。
「言葉がわかれば、人ともっとつながれるんだ」
そんな気づきは、当時の私にとってとても大きなものでした。
そして、商社で働く叔母の姿は、相変わらず私の憧れでした。
「語学を使って、かっこよく働く女性になりたい」
その気持ちは、私の心の奥でずっと燃え続けていました。
小さな希望が心を支えてくれた
環境に馴染めず、自分に自信が持てない子ども時代。
けれど、語学や海外への憧れが、私にとって大きな支えになっていました。
「もしかしたら、私も変われるかもしれない」
そう思えたのは、語学との出会い、そして叔母の存在があったからです。
この頃に芽生えた「語学を学びたい」「海外で生きてみたい」という想いは、その後も私の中でずっと消えることはありませんでした。
次回は、その想いがどのように私の進路や人生の選択に影響していったのかを綴りたいと思います。
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