日本語を話せない台湾人の叔母。
私が小学生の頃、彼女と初めて出会ったとき、「このお姉さんともっと仲良くなりたい!」という想いと、「どうやって話したらいいんだろう」という戸惑いがありました。
でも、そんな不安はすぐに消えていきました。
言葉は通じなくても、祖父母や私たち家族に向けられる叔母の思いやりや優しさは、はっきりと伝わってきたからです。
「言葉がなくても、人の人柄や温かさって感じ取れるものなんだ」
その気づきは、幼い私の心に深く残りました。
もっと相手と分かり合いたい
一方で、言葉が通じないもどかしさも感じていました。
「語学ができれば、もっと相手と分かり合えるのに」
その思いが、私の中で大きな原動力となっていきました。
数年後、本格的に英語を学び始め、さらに大学時代には中国へ留学。
一人で海外を旅したことも私の物事をとらえる視野の広がり、もっと勉強したい!という強い想いがますます深まっていきました。
そこで実感したのは――「語学ができれば、世界はもっと広がる」ということ。
語学がくれる楽しさと夢
現地で人と会話できたとき、相手が笑って返してくれたとき、心が本当にワクワクしました。
「もっと語学を磨いて、もっといろんな人と話してみたい」
「世界中の人と気持ちを通わせたい」
そんな想いが、どんどん膨らんでいったのです。
結び
言葉がなくても心は伝わる。
けれど、言葉があれば、その心をもっと深く分かち合える。
あのときの叔母との出会いがなければ、私はきっとここまで語学を大切に思わなかったかもしれません。
台湾との縁から始まった小さな気づきは、今も私の人生を支える大きなテーマになっています。
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