20歳の決断、中国留学へ
大学では英語を専攻していた私ですが、「これからは中国語だ」という世の中の空気を感じていました。
「英語一本で勝負するのは難しいかもしれない。だったらトリリンガルでいいじゃん!」
そんな“勢い”と直感で、中国への交換留学を決めました。
親に費用の負担はかけたくなかったので、留学費用はすべてアルバイトで工面。
しかも親への報告は、なんと事後報告。
今振り返れば、20歳そこそこの私にしては大胆すぎる決断だったと思います。
留学生活の現実は甘くなかった
第二外国語で中国語を専攻し、授業にも真面目に取り組んでいました。
NHKの中国語講座を録画して勉強したりと、ある程度の準備はできているつもりでした。
でも、現地に着いた瞬間、その自信は粉々に砕け散りました。
寮の手続きの説明が理解できない。
受付の女性は方言が強くて、まったく聞き取れない。
そしてクラス分けで入った授業も、先生の話が速すぎて理解不能。
質問したくても、語彙力が足りなくて言葉が出てこない。
気づけば、毎日が「分からない」の連続でした。
留学生活の前半は、正直どん底。
「私はなんでここに来たんだろう」と、自分の選択を責める日々でした。
追い打ちをかけた知らせ
そんな中、日本にいる母がうつ病になったという知らせが届きました。
遠く離れた異国で、言葉も文化も分からない現実と格闘しながら、母のことが常に頭から離れない。
20歳になったばかりの私にとって、その状況はあまりにも重く、大きな試練でした。
今振り返って思うこと
あの留学生活は決して順風満帆ではなかった。素敵な出会い、楽しい思い出もたくさんできたけれどそれまでの人生で味わったことのない辛さも経験した時期でした。
でも、あの経験があったからこそ、私は自分の限界を知り、同時に「もっと強くなりたい」と心から願うようになったのだと思います。
中国留学で味わった挫折、それにくじけず立ち向かっていった経験は、今の私にとって確実に大きな糧になっています。
結び
あの頃の私は、とにかく必死でした。
言葉も分からず、頼れる人も少なく、家族の不安を背負いながら、ただ前に進むしかなかった。
「それでも、あの経験がなければ今の自分はいない」
そう胸を張って言えるようになったのは、ずっと後のことです。
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